ギリシャと日本-多くの面で違いのあるこのふたつの国は、その深部で分かち難く結びついている。ふたつの国家、ふたつの民族、ふたつの文化…もしあなたが日本を心から、誠実に、一貫して、敬意をもって愛するならば、同じようにギリシャをも愛することだろう。
アダ・パパゲオルギウはギリシャのキアトで空手師範として日々を送る、日本を愛するギリシャ人のひとりだ。私たちのウェブサイトへ始めての日本への旅についての記事を送ってくれた彼女は、一月ほど前に二度目の日本への旅を敢行。その旅路について、再び私たちに語ってくれた。

~帰還~
初めての旅路で、日本に心のかけらを残してきた私は、遅かれ早かれ、それを取り戻すため、あるいはすべてを日本に置いていくために、いずれ日本に戻ってくるのであろうと分かっていました。
日本の街角は、私が去った時と同じように、明るく、様々な音に満ち、語られるのを待ち望む物語で満ちあふれていました。あの時と同じ通り、同じ橋、同じ電車…しかし、そこを訪れる私は、あの時の自分自身ではなかったのです…。
思い出を残してきた場所を歩く私は、まるで初めて日本を訪れた時に逃してしまった何かを探しているようでした。そうするうち私は、日本は、ひとの心のかけらを奪うのではなく、もしかすると、ひとりのひとの心が、いくつもの場所に寄る辺を得られる術を指し示しているのだと理解したのです。
この地の人々は、まるで目に見えない振り付けに添うように、独特の同期のリズムで動いています。鉄道駅では、並ぶ人々の列は、絶対的な秩序をもって形づくられてれています。そして、彼らの礼儀正しさとは、単なる振る舞いの方法ではなく、人の存在の在り方であり、沈黙は気おくれではなく、敬意を指し示すものなのです。
日本は無理やり適応することを求めません。見ること、聞くこと、そして感じることに心を開く限り、自分のペースで日本を発見する余地を与えてくれます。そして、いつの間にか、ゆっくりと、あなたは日本の日常を形づくるかけらとなるのです。
~進化への道~
日本は再び私を呼んでいました。今となっては単なる観光客としてではなく、その弟子として。空手は私にとって、単なる武道の技などではなく、私の生き方そのものでした。恐れや疑念、それから「もしかしたら出来ないかも知れない」という不安と闘っていたのです。それでも、私の情熱はこうした不安より強靭であり、自己成長への渇望が私を再び日本へと導いたのです。
そして、そう…私は、ついにやり遂げたのです。
全てが容易だったからではなく、あくまでも私が諦めなかったから。私が歩もうとしていた道は、私を待ってくれていました。そうして、自分自身の心の声が「止まるな。進み続けろ」と囁くのを初めて聞いた時、ついに私はその道へと進む勇気を得たのです。
~友人たち~
初めのうち、私は文化の違いから地元の人たちと関係を築くのは難しいのではないかと心配していました。日本は、敬意と礼儀正しさを持ちながらも、控えめな距離感を保つ国です。私がほかの国で慣れ親しんでいるような直接的なやりとりはありません。しかし、少しずつ、ここでの友情は早急に築かれるものではないのだと理解するようになりました。時間と忍耐、そして理解が必要なのです。
日本において、友情とは、行動、ささやかな仕草、そして共通の経験を通して、静かに築かれていくものです。そして、そうして一旦芽生えた友情は、深く、真実で、敬意と誠実さに満ちています。多くの言葉は必要ありません。ただただ共通の理解、そして共有された瞬間が、永遠にあなたのものとなるのです。
~旅立ち~
日本を離れるいま、私の心は不思議な安らぎに満たされています。去るこの日までの経験全てに対し、感謝の気持ちでいっぱいで、ただ単にその美しい景色を後に残し旅立つ観光客という感覚ではありません。
私が日本から持ち帰ったものは、そこに残してきたものよりはるかに多いことは間違いありません。日本を発ったところで、それは本当の意味で日本を去ったことにはならないのです。なぜなら、日々、日本は私の心の中に生きているからです!
ここでご紹介する写真は、日本空手協会、そして2025年7月6日群馬県・高崎アリーナで行われた内閣総理大臣杯第67回全国空手道選手権大会からのものです。
>>アダの二度目の日本滞在での写真の数々はこちらから