古代の処方箋は「神頼み」?-古代ギリシアと医療・宗教

医神アスクレピオスの神域に付随する劇場遺構(筆者撮影/エピダウロス)

第1回「感染爆発の末に何が起こるのか?-古代ギリシアと感染症」が大きな反響を得た遠藤昂志の連載『歴史から読み解く人類VS病原体の死闘-古代ギリシアと医療・病気』早くも第2回が掲載!

「古代の処方箋は『神頼み』?-古代ギリシアと医療・宗教」と題した第2回では、古代であろうと、医学が極限まで進んだ現代であろうと避けることのできない「病気」とその治癒について、現代と変わらぬようにも思える古代ギリシアの実情をご紹介します。

遠藤昂志の連載第1回:「感染爆発の末に何が起こるのか?-古代ギリシアと感染症」はこちらから!!


新型コロナウィルスが猛威を振るっている中、皆さんはどんな予防をされているでしょうか?きっと、手洗いを徹底し、マスクを付け、外出自粛していることと思います。もし、古代ギリシア人が近くにいたとして、同じ質問をしたらきっとこう答えたことでしょう。「予防は徹底してるよ!神様にちゃんと生贄を捧げてるし、お守りも持ってる!」

◆古代の予防方法は「お守り」や「信仰心」

病原体の存在がまだ判明していなかった古代では、予防と言えるものは、お守りや信仰心しかありませんでした。病は基本的に「呪い」や「神の怒り」の類だとされており、非道徳的な行いをすると、神が怒り狂って疫病で罰すると考えられていました。例えば、ギリシア神話の英雄ヘラクレスは、友人を殺害するという過ちを犯して病気になりますが、これを治すには「殺人の償い(*1)」 が必要とされました。まぁ確かに、ベッドで寝込んでいる伝説の英雄の姿なんて見たくない気もしますが…。

現代ではイベント自粛が叫ばれていますが、第一部で紹介したアテナイでは、感染爆発していながらも、主要な宗教イベントは通常通り開催されていました。むしろ、神様を祭らないと状況が余計悪化する!という想いだったのかもしれません。

病気の発生源が神や呪術と考えられていたことから、医療も幾分か非科学的な方法が取られていました。英単語Pharmacy(薬局・薬学)の語源ともなった古代ギリシア語のφάρμακον(ファルマコン)は、「薬」と「お守り」の両方の意味があり(*2)、医療の起源の一端を示してくれています。外傷にせよ、感染症にせよ、お守りや呪文による治療は、当時は一般的だったのです。

◆疫病を引き起こすのは光の神

では、どんな神が病気を引き起こすのでしょうか。ギリシア神話で疫病と最も結びつきが強いのは、光の神アポロンです。彼が矢を射ると、その地に疫病が蔓延すると信じられていました。アポロンは、人類が初めて月面着陸した「アポロ計画」に名を貸した神であり、後世にはその輝かしい属性から太陽神と混同されている存在です。(よく間違われますが、基本的には太陽神ではありません)邪気を払う光の神が、なぜ邪気の権化のような疫病も司ってるの?と疑問に思う方も少なくないと思います。答えは簡単で、邪気を制する者は邪気に一番詳しいからです。

ちなみに、アポロンは病気を癒す神でもあります。マッチポンプ神とでも言いましょうか。「もののけ姫」のシシ神様のように、死と命の両方を与える、というわけですね。

◆神様にだって治せないものはある!「神の治療」の裏側

古代ギリシアでは、ペロポネソス半島東部のエピダウロスにあるアスクレピオス(光の神アポロンの息子で、医療の神)の神域がトップクラスに有名な医療機関でしたが、基本的には「神頼み」を常としていました。神域内の至聖所「アバトン」で患者が眠りに付くと、夢の中で医療の神アスクレピオスが現れ、すぐに治療してくれるというものです。エピダウロスからは治療事例一覧の碑文が出土しており、目や手足の障害、寄生虫、不妊治療まで、神が治療を施してくれた様々な事例が報告されています。どのように神が治療したのか、この碑文から1例だけ見てみましょう。

ある片目の男が、嘆願者として神の元へ訪れた。というのも、瞼だけはあるが、その中には何もなく、全く空洞だったのである。(中略)至聖所で眠りに付いた彼に、幻影が現れた。神(アスクレピオス)が何か薬を調合し、彼の瞼を開けて流し込んだように思われた。夜が明けると、両目とも見えるようになっており、彼は出て行った。(筆者翻訳:*3)

この碑文の冒頭には、「アポロンとアスクレピオスによる治療一覧」(筆者翻訳:*4)と明記されているので、あくまでも医療の主体は神々だったことが強調されています。盲人の目が見えるようになるというのは、神による奇跡の典型例ですね。十中八九、医療当局によるプロパガンダでしょう。

現代の感覚からすると眉唾物ですが、当時はアスクレピオス信仰は大人気で、治療の御礼を刻んだ奉納物が数多く出土しています。キリスト教が広まって後も、後5世紀末までエピダウロスは存続しており、人気の根強さを示しています。ここまで人気だと、少しは奇跡があったんじゃないか…なんて期待してしまいます。

医神アスクレピオスの頭部像(筆者撮影/テッサロニキ考古学博物館)

しかし、神域の評判にはカラクリがありました。なんと、重症患者は神域内に入ることが禁じられていたんです。治る見込みのある軽症者だけに治療を施し、「治らなかった」という評判を未然に防いでいたんですね。

治療一覧に、感染症だと思われる事例が一つも無いんですが、感染者が神域に治療を求めても、拒否されていた可能性が高いです。(そもそも、重症者は人里離れた神域まではるばるやって来ること自体が困難だったでしょうが…)

◆科学的な医療への萌芽

では、全てが神頼みで医師は全く活躍していなかったのかというと、そうではありません。奇跡による治癒が広報されていましたが、アスクレピオス神域には医療行為を行う医師も存在していました。事実、上記で引用した神の治療も「神が何か薬を調合し、彼の瞼を開けて流し込んだ」という医療行為をきちんと行っており、ただの「奇跡」からは区別されていました。

そして、紀元前7世紀頃から始まった「ギリシア哲学」の流れが強まっていき、医療を劇的に変えました。「ギリシア哲学」では、宗教による世界観を批判し、科学的な原理を探求していました。直接的な因果はありませんが、哲学の肝である「神話要素を排した論理的な思考」が、医療にまで及んだことは想像に難くありません。その流れは、紀元前5~4世紀頃活躍した医師ヒッポクラテスで結実することになります。彼は、史上初めて、医療から宗教・迷信要素を取り除き、「医学の父」として、科学的な治療をスタートさせた張本人になります。

次回は、古代ギリシアから始まった科学的な医療について、解説したいと思います。

注:
*1:アポロドーロス、高津春繁訳、『ギリシア神話』、岩波文庫、1953年、P104
*2:Liddell and Scott,  “An Intermediate Greek-English Lexicon”, Oxford Univ Pr, 1945, P855
*3:IGⅣ², 1, 121, Ⅸ
*4:IGⅣ², 1, 121

 


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遠藤 昂志

遠藤 昂志

大手メーカー社員(兼)ギリシア研究家。日本ギリシャ協会会員。古代史研究会会員。京都大学大学院で開催されている研究会を通し、古代ギリシアの碑文と弁論の研究活動に参加。ギリシア語教室エリニカでは、ニコス・カザンザキスの文学を翻訳しながら現代ギリシア語を勉強中。日本ギリシャ協会会報にて「オリュンポス十二神」を連載中。

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