小泉八雲曾孫・ 小泉凡氏への特別インタビュー

聞き手:永田純子(松江、2008年)

先生は東京でお生まれになった後、曾祖父であるハーンが15か月過ごした地・松江で現在お仕事され、生活されていらっしゃいます。 ハーンが松江で過ごした月日はごく短いものであったにも関わらず、なぜ今でも多くの人にとってハーンの名は松江とともに思い出されるのでしょうか。

まず、ハーン自身が松江をこよなく愛したからでしょう。それは4つほど理由があると思います。
①湿度が高い山陰地方の影をはらんだような霞を帯びた(vapor tone)風景の中に、自らの影(マイノリティ、低い身長、隻眼、両親離婚のトラウマ)などを重ね、次第に居心地のよさを覚えるようになったこと。
②民間信仰、年中行事などハーンがもとめていた日本の伝承文化(folklore)が多く息づいていたこと。
③毎朝、牛乳が飲め、ビールも入手でき、西洋料理も食べられる環境があったこと。ハーンは食文化については、比較的保守的な西洋人だった。当時、牛乳が飲める日本海側の都市は極めて稀だった。
④尋常中学校の同僚、教え子、妻となる小泉セツなど、あたたかいホスピタリティをもった人々との出会いがあったこと。 さらに、妻となったセツが松江出身だったこと、ハーンが松江を描いた『知られぬ日本の面影』がベストセラーとなり、いまだに世界的に読まれていること。ハーンの死後、松江時代の教え子が中心となって、松江に小泉八雲記念館建設するために尽力し、1933年に記念館が完成し、今も際立った観光スポットになっていることなどがあげられます。

現在松江では、ハーンについての主な施設として先生が顧問を務めておられる小泉八雲記念館と小泉八雲旧居が一般公開されています。この二つの施設の概要と活動状況についてお聞かせ下さい。

①小泉八雲旧居:ハーンが1891年6月22日~11月15日まで約5か月間居住した、根岸邸。ハーンは庭や後方の風景を好み「日本の庭」(Japanese Garden)などの作品を生みだしています。根岸磐井氏(Mr. Iwai Negishi)の尽力で1940年に国の史蹟指定を受けました。今もハーンの愛した庭は見事に保存され、観光客の眼をひいています。12月16日~12月29日および元旦を除き、ハーンが暮らした居間・書斎等が一般公開されています。
②小泉八雲記念館:1933年にハーンの教え子や松江出身の弁護士岸清一博士(Dr. Seiichi Kishi)らの尽力で上記小泉八雲旧居の隣接地にギリシャ風建築の記念館が建設されました。その後、老朽化したため、1984年に和風建築に建て替えられ今日に至っています。展示品は八雲の妻、セツが寄贈した遺品類がもとになっており、現在、ハーンの遺品・書簡・原稿・写真など二百数十点を常設展示として公開しています。2009年3月までには、ギリシャコーナーを作り、ギリシャからの寄贈品やキシラ・レフカダなどゆかりの地の写真を展示する予定。ここも、松江の代表的な観光スポットになっており、年間の入館者は十二万人を超えます。

ここに訪れる訪問客やハーンの研究者たちのため、これら二つの施設に解決するべき問題があるとお考えですか。

現在は 旧居と記念館の経営母体が異なることもあり、別々に入館券を購入する必要がある。観光客のことを考えれば、共通セット割引券などをつくって両施設にもっと気軽に足を運べるように改善することが必要です 。
また、記念館はあまりに手狭であり、収蔵庫・応接室・集会室・ミュージアムショップなどはなく、トイレすらありません。また、観光施設という位置づけのため、年中無休で展示替えも難しい。専任の学芸員が常駐しないこともあり研究者にサービスを提供することが困難であり、記念館を会場とするイベントを開催することも不可能です。このあたりの抜本的な改善を行う必要があります。しかし、この時代に増床はなかなか困難なので、別の魅力づくりを考えなければならないでしょう。

ここ数年において、日本並びに日本以外の国におけるラフカディオ・ハーンについての関心はより一層高まってきているとお考えでしょうか。もし関心が薄れてきていると思われるのであれば、その原因は何でしょうか。

ここ数年、いっそう関心は高まっているように思えます、ひとことで言えば、ポスト・コロニアル時代の今日に通底する価値観をハーンがもっていたからです。西洋中心主義の偏見が無く、多文化の存在と価値を認め、クレオールのような混淆文化にプラスの価値観を認めました。また、人間や異文化の共生、自然と人間の共生、異界と人間の共生の必要性を指摘するなど、21世紀の重要課題である「共生の思想」をもっていたからだと思います。なお、1894年に熊本で行った講演「極東の将来」で、ハーンは未来の日本人に必要なことは、「シンプルライフ」と「自然との共生」だと述べています。

2007年に先生はニューヨーク・タイムズ紙のインタビューでラフカディオ・ハーンについて、ハーンは日本にとってその内なる魂との結びつきを回復する一つの道であると答えられています。このお答えについて、もう少し詳しくお聞かせ下さい。

ハーンは日本で14年かけて日本人の「魂」を探求したといえましょう。「魂」とは、「再生譚」のように文字通り「霊魂」をさす場合もありますが、日本人の異界との交渉を紹介した一連の「怪談」の再話作業、祖先崇拝、生きている人間でさえ神にまつる「生き神信仰」、樹木信仰、自然に逆らわない生き方、自分より相手を優先する日本人の行動の特色である「微笑」など、そういったハーンが取り上げて世界に紹介した日本人の精神生活や感情の機微の研究などを含めた意味で使いました。したがって、ハーンのそういった著作を読むことで、現代の日本人から忘れ去られようとしている日本人の精神性の本質が浮上してくるという意味です。

先生は、成城大学で民俗学を研究され、この研究においての修士論文はのち「民族学者・小泉八雲‐日本時代の活動から‐(Lafcadio Hearn, a Folklorist― through His Activity in Japanese Days)」と題された書籍の基礎となっています。また西洋におけるハーンの読者たちは、しばしばハーンの作品について、特に文学的な面よりも民俗学からみた重要性について多く語っています。ラフカディオ・ハーンにおける民俗学についてお聞かせ下さい。

日本で「民俗学」というと、民間信仰を要とする生活慣行全般の研究をさしますが、西洋でfolkloreといえば、むしろ口承文芸を中心とした伝承文化の研究をさします。だから、グリムやアンデルセンの仕事は典型的な民俗学の仕事だったわけです。まず、その意味でハーンがアンデルセンに憧れて行った異界の話の再話という仕事は、西洋でいう民俗学そのものだったのです。
私はかつてハーンの来日後の主要著作から民俗語彙をぬきだしたことがありますが、一番多いのは民間信仰に関する項目で、口承文芸のそれを上回っていました。そのことは、ハーンの民俗研究の内容は柳田國男以降の日本の民俗研究の内容に近いともいえます。したがって日本民俗学の草分けといえるでしょう。じっさいハーンは、日本の民俗学の創始者である柳田國男に、微笑の研究などいくつかの示唆を与えています。柳田自身、ハーンを敬愛していたようです。
ハーンが民俗学を志したのは、西洋中心主義的な偏見がなく、支配階級の文化より、民衆の文化の発掘に喜びを見出す、弱者のまなざしがあったからだと思います。

ギリシャにおいて、ハーンは十分に評価されているとお感じになりますか。

まだ、十分とはいえないと思いますが、ギリシャ語や英語によるギリシャ人の方々の研究成果や生誕地レフカダと終焉地新宿との文化交流の軌跡も見逃すことはできません。今後大いに期待ができそうです。

また、ギリシャにおいてハーンが十分な評価を得るために、さらに何がなされるべきとお考えですか。

ギリシャ生まれで極東の日本で活動し日本の土となった不思議な作家がいたことを、より多くのギリシャの方々に知っていただくことだと思います。展示会、シンポジウム、講演会、ツアーによるゆかりの地同士の相互訪問など何でもいと思います。まずは、ギリシャでハーンを普及することです。結果はそれについてくると思います。
幸い、今後、ギリシャ・日本双方のハーンをテーマとするアーティストの作品を介した交流がはじまる兆しがみられます。従来にない新しいハーンをテーマとする表現方法に心がわくわくしています。

今年、先生は20数年ぶりにギリシャを訪問されています。どのようなご印象をお持ちになりましたか。

オリンピック後のアテネ市内の変貌ぶりには予想通り目をみはるものがありました。でも今回もっとも強い感動を覚えたのはハーンの母、ローザ・カシマティの生誕地キシラ島訪問でした。驚くほど暖かいホスピタリティで迎えられ、ローザの再婚者、ジョン・カバリーニの息子アンジェロから洗礼を受けたという人、あるいはアンジェロの子孫の方たちにお会いでき、彼らの伝承するローザの物語を聞くことができたことです。ローザの生家の隣は学校でローザは高い教育を受けていたこと、生涯、ラフカディオを愛してやまなかったこと、晩年すごく太っていたこと、ハーンが全財産を投げ出しても欲しいといったローザの肖像写真をみたことがある・・・・など従来のハーンの評伝には全く出てこなかった地元に語り継がれるローザ物語に触れることができたのです。
もちろん、西洋文明のオリジンとしてのギリシャ文化に対する人々の誇り、またシエスタとボルタとワイン、シーフードを愛するギリシャ人のスローライフぶりに、大いに感動し、目先の雑務に追われる日本での自分の生活を情けなくも思いました。

先生は、様々な機会にハーンの生地であるレフカダ島と松江との類似点について言及されています。この二つの地を訪れられて、どんな面に類似点を見出されたのでしょうか。

一言でいえば、「潟」の風景です。「潟」とは、砂州や堤防などによて外海から切り離された海、または湖などをさします。松江にある宍道湖や中海とその点、レフカダの風景はかなり似ているといえるでしょう。そしてレフカダは西にイオニア海があることから湿った西風が強く吹き、ギリシャとは思えぬほど湿度が高いこと。そのせいか、オリーブの木より青々とした松の木が目立つのです。高湿の風景という点でも松江とレフカダが類似しています。また、レフカダの語源は「白い」の他に「さまよう」という意味があると聞きました。とすれば、ハーンが後に地球を三分の二周以上するようなさまよう魂をレフカダで授かったのは偶然ではなかったように思えるのです。

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