GreeceJapan.com独占インタビュー/レオニダス・レオニドゥ:東京マラソンを駆けたキプロス人

leonidou1greecejapan

キプロス国旗を掲げゴールへ向かうレオニダス・レオニドゥ(右)。

今年2月23日(日)開催された東京マラソンで、GreeceJapan.comのカメラはある一人の男が高々と掲げたキプロス国旗を写真に捉えていた。彼の名はレオニダス・レオニドゥ。この東京マラソンの完走をもって、ついにワールドマラソンメジャーズ6大会(ボストン・ロンドン・ベルリン・シカゴ・ニューヨーク・東京)を制覇した初のキプロス人となった男である。昨年完走したボストンマラソンではテロ事件に遭遇しながらも奇跡的に難を逃れ、続く今年東京で前人未到の6大会制覇を成し遂げた彼が、GreeceJapan.comに自らの想いを語ってくれた。

(interview: Junko Nagata/ GreeceJapan.com)

・Greek Text / Ελληνικά

あなたはこの2月23日(日)に開催された東京マラソンに出場し見事完走されましたが、東京マラソンの印象と、日本への旅の印象について教えてください。

今回の東京マラソンについての私の感想を言うならば、まるでお伽話の世界のようだった、と言えるのではないでしょうか。ヨーロッパともアメリカとも違う際立った個性を持つ人々の国。この国の持つ、マラソンという、辛く長い闘いに対する特別な「情熱」。こと気温に関しては、私たちキプロス人には少し寒いように思われました。

leonidou2greecejapan

レオニダス・レオニドゥ

我々が滞在していたホテル「グラン・ル・ダイバ」からこの記念すべき一日が始まる都庁前のスタート地点までの道中で、数えきれない日本人ランナーの中から、私は自分と同じような外国人を探そうとしましたが、見つけられたのはほんのわずかでした。何しろ3万6千人あまりの参加者がいた訳ですから。そうこうするうち、次第に私の中で、自分はもう少しでIAAF(国際陸上競技連盟)の認めるワールドマラソンメジャーズの6大会すべてを走り抜くことになるのだという思いが強くなってきたのを感じました。私に同行してくれた兄弟のコンスタンディノスも言っていたように、アスファルトや歩道の片隅には雪が解けずに残っていて、気温の低さを教えてくれました。

いよいよスタートまで40分に迫った都庁前では、多くのランナーたちがまるで私のことを自分たちの家に突然やって来た外国人のように見つめていたのです。キプロスから来たひとりの外国人-自分はキプロスから来ました。「キプロス」?そう、英語で「サイプラス」です-自分の国の名前を、その言葉を知らない国の人から発せられるのを、私は不思議な気持ちで聞いていたのです。その時の私は、ワールドマラソンメジャーズに新たに加わった東京で、いい成績を残したい、ただそんな思いでいっぱいでした。

東京を走った私にとって最も印象深かったのは、給水ステーションで飲み終わった飲料のコップがコース上に全くといっていいほど捨てられていなかったことでした。これは全てのランナーにとってもとても重要なことです。路傍には大きなくずかごが置かれていて、そこへ飲み終わったコップを捨てることによって、次々と後方から滑りこむ他のランナーたちに悪影響を与えることなく淡々とレースが継続される。これは一朝一夕にできることではありません。行き届いた教育とでもいうべきものを感じました。

そんな中で、あえてマイナスな面について言うならば、ゴール直前の直線がまるでリオのカーニバルのようであったということでしょうか。こういった喧噪は、一人のマラソンランナーが、ワールドマラソンメジャーのような場で期待するそれではありませんでしたが…。もちろん、これは私が抱いたある印象をお伝えしたに過ぎません。いずれにせよ素晴らしい大会だった、それは間違いありません。

こうして完走した私は、長い闘いから受けた疲労を回復するため医療チームのもとを訪れたのですが、今回私に同行してくれた人たちはなかなか姿を見せない私を探して救急救命部門に尋ねるなど、苦労したようです。

日本への旅は、私の35年に及ぶ競技人生の頂点というべきものでした。人生47年目の今、敢えて闘いを挑むという大きな意味合いもありました。この外で特に印象深かったのは、ヨーロッパでは既に失われつつある他者に対する尊敬の念が今も東京では健在である、ということでしょう。

あなたは東京マラソンを含めたワールドマラソンメジャーズと呼ばれる世界6大マラソン大会のすべてを完走した「WMM Six Star Finisher」たちの中で初めてのキプロス人です。この6大会の中で、最も印象深かった大会はどの大会でしょうか?また、それぞれの大会を一言で表現するなら、どうなりますか。

そうですね、私はワールドマラソンメジャーズ6大会すべてを完走した初のキプロス人となりました。開催都市には各々独自の特色や文化、雰囲気があり、いずれも特徴があります。その上で、各大会から得た私の印象を一言で表すと、こんなふうになるでしょうか。

ロンドンマラソン:start line
ベルリンマラソン:start right
ニューヨークシティーマラソン:ride on the bridges
シカゴマラソン:成熟
ボストンマラソン:予期せぬ事態
東京マラソン:ファイナル・カウントダウン

初の外国人優勝者として、1964年のボストンマラソンで栄冠に輝いたキプロス出身のギリシャ人スティリアノス・キリアキディスの足跡を辿るように、あなたも昨年ボストンマラソンに出場されましたね。残念ながら、あの悲劇的なテロ事件の発生によって昨年の大会は中断を余儀なくされました。幸いにもあなたは爆発のわずか数分前にゴールされ、危うく難を逃れたわけですが、この日の出来事について、またこの事件があなたにどのような影響を与えたかについて詳しくお話しいただけますか。

あの時は、外国人初のボストンマラソンの覇者ステリオス・キリアキディスの息子であるディミトリス・キリアキディス氏がキプロス・パフォス市のスタトス村から遠くボストンまで私たちのためにやって来てくれていて、私たちはそこで多くの人と知り合い、貴重な体験を得、また想像できないほどの大きな歓待を受けることができました。

ボストンで無事完走した私は、首にメダルをかけてもらいながらVIPエリアにいるはずの兄を探して振り返りました。無線を使って通信していた兵士が私に着替えの入ったカバンを渡そうとしていたところで-そのVIPエリアには安全上の理由で一帯でネットワークが遮断されていたため爆発しなかった別の爆発物が設置されていたと後で知りましたが-まさにその時、圧力釜に釘や鋭利な金属片を詰めて作られたという一つ目の爆発物が炸裂したのです。一体何が起こったのか全く分からないまま、私は道路上に停められた2台のCNNの中継車の間に隠れるように投げ出されました。それから数分が過ぎたでしょうか…何が起こったのか確かめようと周りを見ようとしたとしたその時、2回目の爆発が起こり、すぐに別の爆弾が爆発したのだとわかったのです。後の軍隊の発表から、爆発した2発のほかにも、犯人が設置したものの炸裂しなかった別の3つの爆破装置があったことを後で知りました。

それからのことは皆さんがよくご存じでしょう。まるで戦争映画のエキストラたちのように、人々が逃げ惑っていました。程なくして、あらゆる方向からヘリコプターが飛んで来ました。軍隊、赤十字、ボランティア、警察、負傷者たち…まるでこの種の攻撃を予想していたかのように、全員が何をすべきか理解していたのです。

私たちはバスケット競技場6つ分もあろうかという巨大な建物へと連れて行かれました。そこでは食事、飲み物、菓子が提供され、テレビも至る所に設置されていました。こうして、自分たちは安全な場所にいるんだと、もう何も怖がることはないんだと、自分で自分を落ち着かせようとしていたのです。それから更に9時間後、やっと軍隊の命令で一帯の封鎖が解かれ、私たちは軍隊の車両でボランティアの家々に送られました。

事件に遭遇したランナーたちのために、この時ボストンの多くの人々が自宅を開放したことはご存じでしょうか。これは、マイケル・ニース氏を理事長として、ランナーたちのための組織を運営する財団である「26.2 Running Foundation」によるものなのです。私たちはまるで「26.2」(※1)クラブの一員のように、学校、運動場、そしてコースの2km地点にあったあの偉大なステリオス(スティリアノス)・キリアキディスの銅像(※2)と、さまざまな場所へ案内されました。ボストンでは、私たちは元ギリシャマラソン界のトップアスリートであり、現在ギリシャのランナー向け雑誌「RUNNER」の責任者を務めるニコス・ポリアス氏とギリシャの子どもたちによる使節団とともに時を過ごしました。

1897年に初めて開催された世界で最も歴史あるマラソン大会であるボストンマラソンから得た経験と、「26.2 Running Foundation」から受けた忘れがたい歓待を、私は決して忘れることはないでしょう。

あの時、あのゴール地点で私が見たものが何であったかと言うならば…言葉ではとても表現できません。何と言ったらいいか…ホラー映画の一幕のようでした。行くあてもなく、たとえ傍らに誰かを見つけたとしても、その誰とも意思の疎通ができず、何もかも失って死んでしまったような場所にたたずみ、ただ次の動きを待つ。「さあ、キプロスから来た走者よ、目を覚ませ、お前を探す者たちがいるのだ」と…。

アテネマラソンには参加されたことがおありですか?ひとりのマラソンランナーにとって、マラソンが生まれた地で、偉大なるフィディッピディスの足跡をたどる伝説のコースを走ることは忘れがたい経験になるのでは、と思います。

アテネマラソンにはこれまで3回出場しました。その中で、1995年には世界中から集まった128名のエリート・ランナーたちと共に走る幸運を得ることができました。これまでにない特別な経験であったといえます。多くのランナーたちとともにアテネのカリマルマロ・スタジアムにゴールする…それは、歴代のマラソン界のアスリートたちと同じ闘いに挑むという忘れがたい経験なのです。

この大会本番直前にコースを走っている時、スタート地点にある教会から出てきた一人の老女が一本のオリーブの枝を手に私に近づいて来ました。彼女は私に、この枝はマラソンランナーたちがパナシナイコ・スタジアムまで無事にたどり着けるようにとミサで祈りを捧げたものであると教えてくれたのです。私はその枝を幸運のお守りとしてランニングショーツに忍ばせてアテネの町を走りました。その時、私の目は涙であふれていました。まるで地に足がついていないかのように、私は説明のつかない何かの力を得ていたのです。それは、神様からの御言葉だったのでしょうか。こうして、この伝統あるマラソンランナーの祭典で見知らぬ老女から「洗礼」を受けた私ですが…1995年のこの年に、いったい誰が彼女を遣わされたというのでしょう?私はこの時、マリアさまのお力を得て走っていたのです。

東京マラソンではキプロスの国旗を高々と掲げながらゴールされていましたね。これまでに出場されたマラソン大会でも、あなたは同じようにキプロス国旗を掲げてゴールされていますが、あなたの故郷、キプロスについてお話いただけますか?

私の島、キプロスは小さな島ではありますが、ワールドマラソンメジャーを制覇した一人のマラソンランナーの偉大な祖国でもあります。そんな祖国が1974年の7月、何者かによって二つに割かれた時から、私の心は「なぜ」という大きな疑問とともに傷つけられたままなのです。スポーツは、そんなキプロスでこの40年間抑圧のもと生きる私たちを互いに結びつけてきました。

キプロスには現在ギリシャ系キプロス人、トルコ系キプロス人、マロン派キリスト教徒、ラテン人、フランク人といった5つの民族がともに暮らしています。近年の住民の移住によって、今では多くのブルガリア人、ルーマニア人、ギリシャ系ポンドス人が居住するようになりました。そんな中、キプロス海上での天然ガスの発見により、天然ガスと石油からの権益を得るためにアメリカがキプロスを「支援」しようとしていることから、政治的な問題が巻き起こっているところです。

キプロス人はとても友好的な国民性で、国の唯一の資源は観光業とその美しい海岸をはじめとした恵まれた景観です。また、一年を通じて温暖な気候に恵まれていることから、様々なスポーツ選手の調整地としても優れていると言えるでしょう。

一人のマラソンランナーが目指すべきことについてお聞かせください。また、毎日のトレーニングなしに、一人のランナーがマラソンを完走することができると思われますか?

私はあくまでもアマチュアのマラソンランナーです。プロのトップアスリートの世界について語ることはできませんが…あえて言うなら、一人のアマチュアランナーは、自分自身について厳しくあるべきではないでしょうか。また同時に、共に日常生活を送る周囲の人々と、特に家族とのあいだでバランスが取れている必要があり、それらすべてが調和の中にあって、クライマックスの瞬間を共有できなければなりません。これらすべては「祈り・リラックス・意思疎通」の中にあると言えるでしょう。

マラソンに捧げたこの年月…マラソンという、伝統的なスポーツに対する愛着と、100m走・走り幅跳びの選手である母と、5km・10km走の選手である父というアスリートの両親を持ち、その遺伝子を受け継いで、私は「メジャー6」を制覇した初のキプロス人としての栄誉を受けました。しかし心の中には、この世界的な大会を制覇してアスリートとしてのキャリアを終えよと告げる神に対する限りない敬愛の念が私の中にあったことも確かです。コーチの導くまま、それに従う…トレーニングと、トレーニングを行う場はまさに「教会」なのです!

トレーニングについてお尋ねになりましたが、私の考えでは、毎日のトレーニングなしには誰もマラソンを完走することはできないと思います。正しいトレーニングは、経験豊富な運動生理学者が適切な指導を行い、かつコーチの指示に適切に従うところから始まります。また今日では、トレーニング中のミスを最大限低減させるためのテクノロジーも存在します。食生活、生活の質、祈り、そしてそれらを助ける数えきれない要因の数々が、さまざまな役割を担っているのです。そこでは、アスリート個人の人生、家族との人生、アスリートとしての人生、そして職業上の人生とが、望ましい結果をもたらすために調和をもって結び付けられていなければなりません。

あなたのアスリートとしてのキャリアについて教えてください。

私が陸上を始めたのは12歳の頃です。その時私はちょうど小学校の最上級生でした。始めてすぐに、私はあらゆる競技で表彰台に上がっていましたが、中でも優れていたのは400m走と800m走でした。当時所属するスポーツクラブの一員として、キプロスの島の内外で、またキプロス代表選手としても私は数々の勝利を収めました。最終的には私の実力は世界の頂点というところまで達しませんでしたが…つねにその傍らで闘ってきたことは確かです。

その道程の中で、私にとともに歩み、困難な私の道を傍らで支えつつ、現在18歳になるエマヌイルと11歳になるアレクサンドロスという二人の息子たちを私に授けてくれた愛すべき妻を得るという幸運にも恵まれました。

最後に、6大会を走り切ったあなたのこれからの計画について教えてください。

今まではひたすらに自分の道を究めようと多くの時間を費やしてきましたが、これからはより多くの時間を家族のために捧げたいと思っています。あえて具体的な目標を置くことなく、ストレスを感じずにトレーニングを続けていくのと並行して、小学5年の部で75m走に出場し勝利を収めている私の次男・アレクサンドロスのためにも、陸上により力を傾けていく予定です。

これと同時に、陸上への情熱を持ったキプロス人のためのアマチュアスポーツクラブであり、長距離走ランナーを意味する「DRO.ME.A (ドロメア)racing」と名付けられた私が所属するチームのために、多くのエネルギーを割いていくつもりです。

・Greek Text / Ελληνικά

(※1) 26.2マイルは、マラソンの42.195kmにあたる。

(※2)アメリカ・マサチューセッツ州ホプキントンには「The Spirit of the Marathon」と名付けられたステリオス・キリアキディスの銅像がある。ステリオス氏の息子ディミトリス・キリアキディス氏はホプキントンに本部を置く「26.2 Running Foundation」のボードメンバーでもある。

scroll to top

Send this to a friend